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| 拝殿での修祓 | 引渡しでの修祓 |
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| 町中を練り歩く青年会 | 御旅所では7〜13日まで氏子がお参りに訪れる。 |
祇園祭は京都八坂神社も祭りで、牛頭天王(除疫神)の信仰に始まる。 清和天皇の貞観11年(869)全国に疫病が流行し、その退散を祈願したことがその起源とされている。現在旧能生町では、7月7日に能生・藤後・溝尾の三地区で行なわれているが、「能生町史」によると、500年くらい前までは能生と藤後の間で神輿の受け渡しをし、同一神輿で祇園祭を行なっていたとのことである。 能生の祇園祭は白山神社の末社・八坂神社(祭神・須佐之男命)の祭礼として行なわれる。7月7日早朝、修祓後神輿は白山神社から町の西端西浜町へ運ばれ、現地での修祓後西部青年会の若者連中により担がれ、地区内を練り歩く。昼には中央青年会に、夕方には東部青年会に引き渡される。各々神輿出発前に現地で修祓が行なわれる。夜8時前後に神輿は町中央にある御旅所(江戸時代「天王屋敷」といわれた)へ担ぎ込まれ、神輿が安置されると、御旅所で修祓が行なわれる。御旅所では、翌日から13日まで宮司による祓いが氏子になされ、13日夜8時、神輿は神社へ還御する。この時、沿道の家々では、疫病を置いていかれないように戸を閉じて見送る習わしとなっている。 |
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8月18日の夕刻から夜にかけて行なわれる。大正4年の「白山神社祭典年中行事録」には「悪疫除祈願献燈祭」とあり、赤痢・コレラ等の流行予防を祈願して行なわれてきたようである。その始まりについては記録が無く不明。 「灯ろう」は縦1.2m、横0.6mで、張られた紙の正面には主に武者絵が描かれ、側面には「秋八月」と書かれる。縁には赤紙で額縁様に飾り、長さ2mの竹竿には、細い割竹ヒゴに桜の造花・ススキ・ハギが一緒に結び付けられる。18日夕方6時頃、町東端の東小町から順に誘い合わせ行列し、西端の西浜町に集合する。「灯ろう」の蝋燭に灯りをつけ、全町内揃って行列し神社に向かう。神社では拝殿に各町内会長が整列し、神酒を奉納し修祓をうける。宮司は悪疫流行予防等の祝詞を奏する。祓いを受けた桜の造花は翌日各家庭に配られる。初秋に何故春の桜の造花が使用されるかについては、その理由は不明である。現在、全町の「灯ろう」が御旅所に1週間飾られる。昔は子供も「灯ろう」を作り、大勢参加し賑やかであった。 |

![]() 平成18年度のお開帳の様子 |
弁天岩の厳島神社は江戸時代、 「お開帳」は江戸時代、 |
![]() 還城楽(雅亮会) 輪歌(能生舞楽) |
| 平成18年のお開帳を記念して、大阪四天王寺雅亮会の舞楽と、能生白山神社舞楽の共演が行なわれた。 境内で行なう予定であったが、荒天のためマリンホールを会場として行なわれた。 |